見たことがない景色が見たい ~ The 4100Dマウンテントレイル in 野沢温泉 参戦記~

こんにちは。
フイナムランニングクラブ(以下HRC)の鈴木武史です。

とか言っちゃって、

てゆーか誰やねん! いきなり偉そうに。この三下奴が!」

ってなって生卵が飛んできたり、
ランシューのアウトソールにガムとか付けられたら傷つくので
それを回避すべく軽く自己紹介をさせて頂きたいと思います。
もうこれ以上傷つきたくないんです。
今までの人生でたくさん傷ついてきたので......(遠い目)

えーと、大都会茨城県出身の40歳(ピュア独身 ※1
身長187cm、体重75kg、
スラムダンク」の流川楓と同スペック
のわがままボディ(よく意味がわかっていない)です。
ダンクは出来ません。困るんですよね。

「185cm超え=ダンク出来る」

って思われると。
あんな漫画みたいに出来ねーから、マジで。
あ、好きなガリガリ君コーラ味
そんな感じの中年ランナーです。

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流川ってリアルだとこんな感じみたい

さて先日、HRCにおいて毎年恒例の大人の遠足、

The 4100Dマウンテントレイル in 野沢温泉
s-mountain.com
に、参戦してきたので、
その様子をレポートすると同時に、
私事ながら今回初めてトレイルレースを走り、感じたことをここに記したいと思います。

本大会の65kmのコースは3つのセクションに分かれていて、
それぞれセクションが終わるとスタート地点に戻ってくるというもの。
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トレイル感満載の第1セクション


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永遠にも思われる石段がランナーを苦しめる第2セクション


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日差しをまともに浴びながらゲレンデを登り続ける第3セクション


今回は65kmソロに5名、65km駅伝(3人1チームで1人が1セクションを走る)に12名の計17名での参加。
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スタート前の65kmソロ&駅伝第1セクションを走るメンバー

早朝スタートなのでみんなで前泊し、
例のごとく明日レースなのに大丈夫なのかよってくらい酒飲んで、
結局寝たのは3時くらいだったかな。
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そして当日は睡眠不足&かつてない程の激暑(会場はいっとき41度を記録していたとか)
そんな中、そこはさすがHRC
救急車続出、200名以上がリタイアする中、
ソロ、駅伝含めてメンバー全員無事に完走する事が出来ました!

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女子で唯一1区の23kmを走破した小池氏


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副部長山本氏と諸隈氏はソロ65kmを一緒にゴールイン


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朝7時スタートながら、65kmソロランナーがゴールした時はもう真っ暗


はい! 拍手!

と言うと、

「おいおい、レポートあっさり過ぎんじゃあねぇのぉ? 今度グループランの時にニヤニヤしながら足を引っ掛けてやろう。あんなデカイ男が素っ転ぶ様相はきっと滑稽だぜぇ」

と言う人がいるかも知れないですが、

ちょっと待って下さい。

このレースの素晴らしさは
昨年に麦倉氏が、
hrc.blog.houyhnhnm.jp

また一昨年には副部長山本氏がしっかりと伝えてくれているので、
hrc.blog.houyhnhnm.jp
僕はちょっと違う切り口で行こうと思うんですよ。


という訳で、ここからは僕の超個人的な記録・見解である(いきなり文体が変わる)

さて、みなさんは山を何十キロも走った事はあるだろうか。
このブログを読んでいる方は、多少なりともランニングに興味があるのであろうと拝察するが、
世間の大半の人にとっては

「走るの? 嫌です。は? しかも山を? お金払って? へー、すごいですねぇ......」

という感じで、そこから話も発展しないのが大体のパティーンではないだろうか。
僕もその意見を否定するつもりはない。

「今度の連休は山を50km走りにいきます」

と言って、

「おれたちにできない事を平然とやってのけるッ! そこにシビれる!あこがれるゥ!」

と賞賛の言葉を拝受したり、

「生命力が迸っているんですね。好きです。結婚して下さい」

みたいなことを異性に言われ、麗しい展開に発展することは、無い(今んとこ)

では何故にわざわざ能動的にそんな辛い事をするのだろう?
自問自答してみると、おそらく
見たことがない景色が見たいからなのかも知れない。

というのも、僕は昔からその人の心の状況によって世界が変わるという概念に強く惹かれる傾向がある。

芥川龍之介は著書「鼻」で、再び鼻が伸びた内供が見る景色を
「庭は黄金を敷いたように明るい。〜中略〜 まだうすい朝日に、九輪がまばゆく光っている」
と描写している。

また、フィッツジェラルド「グレート・ギャッツビー」で、
ギャッツビーがデイジー宅の緑色の光の中に陶酔に満ちた未来を見る心の有り様を物語っている。

つまり、世界というのは、それを感じる人の心によって、
幾通りにもその様相を変えるのではないだろうか。

僕が息を切らして登った頂上からの風景は、
リフトでオートマティックに登った頂上からのそれとは全く違っていた。
乾きの中で飲むエイドの水の冷たさは、
自動販売機で買ったドリンクのそれとは全く違っていた。
同じ痛みを通過してきたHRCのメンバーが待っていてくれていたゴールゲートは、
どんな美しい風景よりも激しく僕の心を揺さぶった。
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そしてその風景は、人生を生きる過程で生じる凍える夜に熱源となり、身軀ではなく心を温めてくれるのだ。

とは言うものの、村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」の中で言っている
長距離走は万人に向いたスポーツではない」という意見に僕は積極的に同意したい。

人に対して、
「走ることは素晴らしいから、あなたも走った方が良いですよ」
というつもりは毛の先ほども無い。

しかしながら、ネットで何でも容易に買え、あらゆる情報に簡単にアクセス出来る今の時代、
非効率は悪とされがちな世の中だからこそ、例えば「走る」というような
最もアナログで非効率な営為が人生にとって重要な示唆を与えてくれることもあるのだ。

生来怠け者ゆえ、日々のトレーニングはいつも腰が重いのだけれども。
それでも僕は、走るという行為から生きる為の様々なことを教えてもらった。

走ることは、僕にとって人生の先生なのである。

僕みたいなへっぽこランナーが書いたこのようなレースの所感が誰の役に立つとも思わないけれども、
何かの目標に向かう過程をちょっと顧みる小さな小さな切っ掛けになれば、これ以上の喜びはありません。

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ゴールシーンでは渾身のジョジョ立ち

からの崩れ落ち
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※1:結婚歴が一度も無い独身を意味する。